◼︎ コトノハ ◼︎

本と芝居とラジオの日々 / all rights reserved

秋山羊子とサンジャック


いつものように午前3時起床。
4時に出社して仕事。



月曜に昔お世話になった人に
挨拶できなかったことがひっかかったまま、
水曜日。
手帳を見れば、月曜は、
あべあきらのライブでもあった。
都合さえつけば、両方はしごできていたのにと、
今週も、閉じた空間で過ごす自分を責める。
キャベツ、ひまわり、えっちゃん、転校生、ワンナイトショー、、
数々の名曲を思いながら。



週の半ばで、寝不足もきつく、
それでも今日は、
夜まで仕事し、
間に合えば、行きたいところが。
同時に、
早く終わるなら、帰って休みたい思いとも。
昔なら、帰って休みたいなんて、思わなかった。



19時、何とか仕事を終える。
迷う。
でも、向う。
それでも、まだ、迷う。


西荻サンジャック。
今月で閉店するというビストロ、
時々、
ライブハウス。
自分は、一度も行ったことがない、
それでも今日は、と思った。
閉店、最後の、ライブ。
秋山羊子。



これもまた、
最近を支えてくれた歌。
石村吹雪のように。



4月の石村吹雪のように、
行けば、何かがある、
力をもらって、
見えてくる明日がある、
そう言い聞かせても、
足取りが重いのは疲れ。



西荻の駅で降りて、時計をみて、
間に合うことを、少し残念に思う気持ちも。
迷いながら、半ば、目をつぶって、
足を踏み入れたサンジャック。



扉を開けると、音楽が、そこにいた、



はじめは、よくわからなかった。



キス
ゆうれい
シュークリーム
ようこそ おめでとう
ほめられたい



ここで変わった、すごい、と、



米寿の伝言
レール



あぁ、音が生きている




水分



そして休憩。



Hallelujah
ハテナ
どん
コロッケパン
ブラボー!
もう一度僕らは
指一本で倒されるだろう
ハッピー




間に合ったことを、感謝しながら、思う。
明後日、21日、金曜日は、石村吹雪の余賛歌だ。

指一本で倒されるだろう

指一本で倒されるだろう

ピラニアの棲む湖

ピラニアの棲む湖

狂った手

狂った手

ある文学賞

いつものように午前3時、起床。
4時、出社。



ある文学賞
その授賞式が、今日、予定されていた。
仕事でお世話になった人が関わっている。
その人とは、毎週のように、顔を合わせていたのに、
最近は、すっかり、疎遠になっていた。



会いたい、と思った。
珍しく、招待状に、出席と、書いて、返信した。
パーティの招待など、
いつも、返事など、出さなかったのに。



ところが、



結局、仕事が長引き、参加できなかった。
賞のことは、あとでいろいろ知ることが出来る。
とにかく、お世話になったあの人に、
会えなかったのが、残念です。



そんな、週の始まり。さびしい。



今週も、こうして終わってしまうのか、
怖く、さびしく、


6月も、もう下旬。

失語の日々の先に

石村吹雪が復活した、
その瞬間に立ち会えた、
その事が、自分の日々に、
少し、色を添えた、


その感謝の思いを、
日々、少しずつ、
ただ綴っておきたくて、
今は全く書かなくなっていたここに、
少しずつ、書いたりしていた。


それも書ききれないうちに、
日々の荒天。
雑務に追われ、筆が止まった。

幾つかの節目で、
大きな地雷を踏んで、
否、自爆して、
ただただ自責の念。


いつからだろう、
言葉を失ったのは。
自分の中に言葉が消えた。


その理由がわからなくて、
不安で、
自分がただただ堕落したと責めて、
落ち込んで、


仕事での失敗が増え出したのもその頃。
そして、後ろ向きに。
昔は、失敗なんか気にしなかった。
ふざけんなと、
次でやり返す力があった。
それは、自分の言葉があったから。


なぜ自分の言葉を失ったのか。


長く、わからなかったこと、
そして、落ち込んでいたこと、


でも、今ならわかる。


自分の言葉を失ったのは、
自分の言葉を生きていなかったから、
他人の言葉を生きていたから、
それがこの数年の、出来事、


他人の言葉を生きていた?
他人の言葉を生きなければならなかった?
他人の言葉を生きなくてもいいのに、
勝手に、他人の言葉を生きていた?


本当のところはわからない、
確かなことは、
自分の言葉を生きていなかった、
他人の言葉を生きていた、
その事実、


生きよう、自分の言葉を、



今週は、月水金とイベントが、
金曜日は、石村吹雪のコタン、余賛歌だ、

石村吹雪「おつり」


5月9日(木)午前3時起床。
いつものように3時40分のタクシーに乗り込む。



朝の仕事の後、打ち合わせを数件、
そして夜、もう1つの大きな仕事。
関係者が夕方から集まり、雑談をしながら準備。
比較的、いろいろな分野の人が交流するこの仕事は、
自分が心を開いて、そして少し図々しく踏み込めば、
交際が広がって、別の新しい世界が開けるはず。
そう思っていても、
なぜか踏み出せない一歩があることに、
最近気づいていた。
たぶん、フェイスブックをしないのも、
そんな理由なのだろう。
自分を売り込んだり、表面的に関係を結んだり、
その抵抗感。
いや、そんなことは小さな事かも知れない。
もっと大きなこと、
たぶん、屈託のない明るさに、引いてしまうのだろう。
もちろん、その明るさに、嘘を感じるから。
いや、本当は、まぶしいからか。



人間は喋る動物だけれど、
喋るという基本的な行動にも、才能の差はある。
喋れる人から見れば、
喋れない人は、喋らないだけに見えるのだろう。
勉強が出来る人から見れば、
勉強が出来ない人は、努力が足りないと見えるように。
名選手からみれば、
出来ない選手は、理解できないだろう。
名選手が名監督になれないゆえん。



しかし、本当に、喋れるというのは、才能なのだ。
喋れない人を否定するのが今の風潮。
就職活動で、コミュニケーション能力ばかりを問われ、
心のバランスを崩してしまう若者の、いかに多いことか。



仕事場で飛び交う、たいして意味のない言葉の数々に、
耳をさらしながら、そんなことを考えたりしていた。



帰宅は終電後、タクシーで。
ぼんやり外を見ながら思い出すのは、
石村吹雪が、歌わずにはいられなくなり
あふれ出したということばたち。
ライブで歌われた「おつり」
http://fubuki.nohit.info/song.php?name=3212

ある朝でした あれからでした
通勤駅の売店に寄り
煙草を買っておつりをくれた
コバヤシさんと目が合いました


面食いなんておこがましくて
身の程なりの人生でした
コバヤシさんの手に触れたくて
千円札を使うのでした


この手のひらとその指先が
ふれるすれるこすれる時に
人は何かを交わすのですね


通勤だから毎朝通る
セブンスターを毎朝買って
いつからでしょうお金を出すと
セブンスターが差し出されます


千円札は大きすぎると
私はやがて気がつきました
ちょうど良いのは五百円玉
おつりとあわせ二回のチャンス


その手のひらとこの指先が
ふれるすれるこすれる度に
人は何かを交わすのですね


細かくなってごめんなさいと
百円玉が七つもあって
ざらざらざらと注がれたのは
嬉しいような悲しいような


この手のひらとその指先が
ふれるすれるこすれる時に
その手のひらとこの指先が
ふれるすれるこすれる度に
人は何かを交わすのですね

タクシーの車内ではラジオ。
母の日を前に、街で取材したという母と娘の言葉。
「片付けろって、うるさい」
「家事を少しも手伝わない」
平行線の母娘が続き、最後は、こんな母娘。
「どんなに疲れていても週末は遊んでくれる」
「こうして生きているのも娘のおかげ。感謝しています」



どちらも、普段、本人に伝えられないという。
それでも思いは伝わっていた。



ことばではなくても、相手に届く、
相手と触れ合えるものがそこに。

石村吹雪「おつり」と「小林さん」


5月1日(水)午前3時起床、
いつものように3時40分のタクシーに乗り込む。


前日の仕事は荒れていた。
月曜の石村吹雪ライブ以降、気持は落ち着いていたが、
不安定な日々に戻ってしまった。
もちろん、自分の仕事がふがいないからこそ。
ただ、それだけでない部分も大きくなっている。
数年単位で積み重なったもの。
そして体調の問題。


考えすぎると、自分を追い込みすぎて、息が出来なくなる。
時々、思い詰めて、息が止まっていることがある。
慢性的な寝不足に酸欠、そして精神のバランスを崩し、奇行。
危ない自分を感じて、目線をそらし、今日をやり過ごした。

『石村吹雪』としての活動は、
2006年12月31日をもって、終了されます。
しかし、決して消え去る訳ではなく、
しっかり皆さまや私の記憶の中に息づき、
新たな芽吹きの時を待っています。


本人がHPで活動停止を宣言したのは2006年。
月曜のライブは、7年ぶりの活動再開。
途中、小さなライブをしていたようだが、
それは、たとえて言えば、
「懐かしのあの人」というような特番にゲスト出演したようなものか。
今回は、本格的に復活、ということになるのだろう。
しかし何で活動を「終了」したのだろうか。
ライブでは、軽く触れられただけで、深く語られることはなかった。
「仕事を頑張ろうと思った」
「お金を貯めようと思った」
というようなことではあったが、本当の、気持の部分は分からなかった。
個人的には、そこが一番聞きたい所でもあったのだが。


自分が初めて石村吹雪を観たのはいつだったか。
コタンに初めて足を運んだのは1993年。
友人のライブを観に行ったのだが、
その後、何度か足を運ぶうちに、
同じ日のステージに立っていた石村吹雪に出会った。
おそらく94、5年頃ではないか。
最初の歌が「平和な社会」、途中「三人目のまこちゃん」をはさんで、
最後が「高まりゆく情熱への制動に僕らは一体どおしたらいいというのだろう」。
これらは96年2月発売のカセット「御目白乞食・奈奈」に入っている。
http://fubuki.nohit.info/album.php?name=07


その頃の自分のことを思い出す。
横浜にある会社の寮に入っていた。
学生時代、ことばに関わる仕事に就きたいと思っていたが叶わず、
ある会社の税務を担当していた。
寮の部屋には、本がぎっしり詰まった段ボールが、うずたかく積み上げれていた。
そのまま、開けることもない段ボールを見て、同僚は、理由を聞いた。
「数年で異動がある。ほんの数年の仮住まいだから」
しかしそれはウソだった。
仮住まいでも、数年はそこに住むのだ。
その間、本を手に取る日常があってもいい。
だから本当の理由は別にあった。
ただ、本を絶ちたかった、活字を遠ざけたかった。
追いかけていた世界を、諦めるのだと、言い聞かせていた、
自分を、追い込んでいた。
代わりに机の上には3冊の本。
簿記と、会計と、税務と。
それまで自分が近づこうともしなかった、遠くにあったもの。


石村吹雪としての活動を終了していた時期、
石村吹雪は、仕事の日々を送ってはみたが、
「それは、あまり向いていなかった」という。
高校の頃から、ギターを弾いている時だけが楽しそうだと言われてきた彼だから。

かなりしょぼくれた日々を過ごしていたんです。
「なんかいいことないかね」なんて言いながら。
でも、いいことを見つけちゃったんです。
そうしたら、歌いたくなっちゃうんです。
人は、どこででも、生きる楽しみを見つけられる。


歌わずにはいられない、あふれ出すことばたち。
そうして出来た歌が、月曜のライブで歌われた。


振り返って自分はどうだったか。
本を段ボールに詰めては見たものの、
ことばを封印してみたものの、
しょぼくれはしたが、ことばがあふれてくることはあったのか?
やがて自分は気持のバランスを崩し、会社を辞め、昔の世界に身を寄せる。
しかし石村吹雪のライブを観て改めて思う。
あふれるほどの何かは、自分の中にはない。
それではなぜ、会社を辞めなければならなかったのか。
そして今、気持のバランスを崩している自分にも問う。
日々をやり過ごせないほどの、あふれる何かがあるというのか?


4時過ぎから朝の仕事、昼から会議を3つ、残務処理をして、22時退社。
今日も酒を飲む。

石村吹雪、高校生日記


4月30日、午前3時10分起床。
10分の寝坊は、きのうの四谷コタンの余韻。
2時間睡眠で、
4時前にタクシーに乗り込んだ。



「緊張なんか、してないからね」


石村吹雪さんのライブの始まりはこの一言から。
これで、空気が出来た。
始まった曲は「高校生日記」
http://fubuki.nohit.info/song.php?name=3201

君にとって僕は何だろう?
僕は君じゃないから分からないけど
好きとか嫌いじゃなくて、
君の中でどれだけ当たり前なのか
なくてはならない人ですか
いてもいなくてもいいですか
代わりはいくらでもいますか
二度とは会えない人ですか


この国で僕は何だろう
僕は偉くないから分からないけれど
意味とか理由とかじゃなくて
僕がここにいることは当たり前なのか
なくてはならない人ですか
いてもいなくてもいいですか
代わりはいくらでもいますか
二度とは会えない人ですか

声に、詩に、曲に、本当は、泣きそうだった。
歌ににじむ心に。
日々を生きる人は、この歌に突き当たる。
そして、この歌を越えて、日々を生きる。
歌は、本当は、そうしたもの。
壁に突き当たった誰かに刺さり、
その誰かが壁を越える何かとなる。
その背景に、歌い手の日々があるから。
日々を生きている心。


誰よりも、自分が、助けられたと感じながら聴いていた。


CDが売れないとか、新しい曲が売れないとか、
くだらないリバイバル、カバーという名のカラオケ、
新しいものを売るCMさえも、昔の曲しか使えない現実。
個人の趣味が多様化したとかなんだとか、
もっともらしい理由を述べる人はいる。
果たしてそうだろうか?
ただ、力のある歌がないだけではないか?
日々を生きている歌がない、
そしてまわりも、そういう歌を大切にしない。


プロモーターがCDを売り込むときに歌詞カードを出さないこともある、
そんな小さな事実にも、歌の今が見える。
詩をメロディにのせて、人に届けるのが歌なのに。


80年代前半はまだよかった。
バブルの頃、ヒット曲がマーケティングに結びつけて語られて、
いつしかマーケティングでヒット曲が作れると勘違いされて、
歌が、だめになった、そう言っていた人がいたのを思い出す。


そういう現実の中、日々を生きる歌は、小さなライブハウスに息づいていた。
あの日、助けてもらったように、きのうもまた、助けてもらった。
石村吹雪の歌。
思い起こしながら、今日、いつもの、日常を始めた。
きのうの朝とは少し違う気持で。


歌は、計算で作るものではない。
日々を生きる中で、歌わずにはいられないものこそが、歌。
石村吹雪は、2006年、活動を停止していた。
それでも、日々の中で、歌を作ってしまったという。
作らずにはいられなかったという。
それが本当の歌なのだと思う。歌わずにはいられない歌。
そして歌い手の日々から離れた時、歌は終わる。


紫綬褒章松任谷由実を祝うラジオでかかった曲は、
ほとんどが、荒井由実の歌だったなと思いながら。


朝の仕事の後でネットを見る。
石村吹雪の「高校生日記」。
震災後の歌かなと感じていたが、
調べると、2010年発売のCDに入っていた。
震災の前からこの感覚を生きていた。
信用できる人だと、改めて思った。