◼︎ コトノハ ◼︎

本と芝居とラジオの日々 / all rights reserved

『友がみな我よりえらく見える日は』上原隆

 文学と精神世界だけを追い求め、妻子から捨てられ、ホームレス同然の生活を続ける芥川賞作家。その容貌のため生まれてから一度も男と付き合ったことがない独身OL。テレクラ遊びと浮気を繰り返す夫と話すためにテレクラに電話をかける妻。劣等感にさいなまれ深く傷ついた時、人はどのように自尊心を取り戻すのか…心に傷を持つ普通の人の普通の生活を、取材した通りに、てらいもなく、演出もなく、淡々と描いたノンフィクション。

 たぶん今(2005年)ではなく、10年くらい前に読んだら、もっと泣けたのかもしれない。その頃なら、もっと受けたのかもしれない。(実際初版は96年)。ただ今は、このテーマ、手法は時代に合わなくなっているのか、最後まで読むのが辛かった。軽く読めるのだが、飽きが来るのが早かった。

 確かに10年前から見れば時代は変わった。ではそのせいだけで、この本の価値が下がったのだろうか?

 この本に描かれているのは、ささやかな生。ドラマチックでも何でもない、平凡な日常。悲しみに満ち、時としては救いが無く、悲劇のようでもあるけれど、終わりは無く、ひたすら続く、日常。その生を私は否定しないし、むしろ愛すべきだと思う。愛すべき日常だと思う。ではその愛すべき日常を描いたこの作品が、なぜ読むのが辛いものなのか。

 多分、描き方が表層的なのだろう(個人的な印象なのかもしれないが)。ネタがネタのまま書かれていて、「生」になっていないのだ。生活の生々しさ、ディテールが弱いのだ。

 疲れていたあの頃なら、ここに描かれているような誰かに出会えただけで、こころに響くものがあったのかもしれないが、冷静に向き合える今は、もっとしっかりとした「生」と向き合うのでなければ、届かない。

 平凡でも、その人にとって大切な生、愛すべき日常。だからこそ、もう少ししっかり描いて欲しかった。もちろん、箇条書きのような淡々とした書き方で主観を抑えようとしたのは評価できるのだが…。

 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ(石川啄木