◼︎ コトノハ ◼︎

本と芝居とラジオの日々 / all rights reserved

DVD第三舞台「朝日のような夕日をつれて」

結局、最近の日々のなかで、87から始まって、91、97、そしてまた87と、繰り返し観てしまった。


再演とはいえ、どれも鴻上さんならではの慧眼で当時の最新のエッセンスが織込まれていて、いつも新しい作品に仕上がっている。ただ、それでもやっぱり、古いものほど面白かった。


新しいエッセンスが織込まれていても、骨格は、初演(81年)当時のまま。そしてその骨格が芝居全体の雰囲気を決めていて、その80年代的雰囲気と、新しいエッセンスとのギャップが、年を追うごとにどんどん広がって、アンバランスになっていくのだ。それからもう1つ、役者も年を経て変わっていってしまうので。入れ替わったり、年をとったり・・・


芝居を全く観ない時期というのが、これまでに何度かあったが、そのうちの1つは、この「変わっていってしまう」というのが理由だった。好きだった劇団が、ダメになっていく所を観るのは寂しい。第三舞台は、別に「ダメに」なったわけではないが、昔の姿が好きだった1人としては、97年の「朝日・・・」など、役者が大幅に代わってしまっていて、少し寂しくも感じた。(最後の「みよこの遺言」も、昔の演者ほどよかったので・・・)


いろいろ書いていて、今、思い出したことがひとつ。
昔、鴻上さんの戯曲をまとめて読んだ時「要するに、鴻上さんの戯曲は、エッセイをせりふにして役者に言わせているだけだな」と思ったことがある。あの鋭い観察力で今を読み取り、将来を展望しているのはいいが、それを役者に言わせているだけで、戯曲としてはちょっと、と。確かに戯曲を読むと、そう思える一面はあるが、舞台を(今はDVDを)観るとまた違った印象を受ける。「演劇」として面白いのだ。せりふは鴻上さんの思索を一生懸命説明するようなまわしが多いのだが、肉体は実に演劇的。祝祭、ショー、といった要素が巧みに取り込まれ、立体的に構築されていた。


細かい感想は、やっぱり後日。


***節酒日記***
朝、6時起床。バージニアで銃乱射
昼、食べず
夜、長崎で発砲