◼︎ コトノハ ◼︎

本と芝居とラジオの日々 / all rights reserved

時間堂「ピンポン、のような」


仕事の後、王子小劇場で。


静かな中にも溢れる可笑しみ。そして物悲しいお話。描こうとしている世界、狙っている演出など、かなり良かった。


なのに、全体のバランスの悪さが気になって、結局、世界に入り込めなかった。キャラクター、セリフ、動き、衣装。そんな色々が、際立っていたり曖昧だったりキレがあったりしんなりしていたりちぐはぐ。要するに、作り込めていなかった。と思えたということは、もしかしたら役者も入り込めていなかったのでは。あの世界を表現するなら、ちゃんと作り込んだ方がいい。


そんな中で面白かったのは、卓球というものを舞台上に乗せたこと。役者がコントロールしきれないものが芝居の中にあることで、不思議な緊張感があり、引き込まれた。


ただ、これも、できれば、わざとらしい芝居ではなく、もっと球まかせに徹して欲しかった。球にまかせず、物語を成立させようとして役者が球を「演出」した部分は、それに夢中になってか役者自体の演技が抜けてキャラクターがぶれていたので。むしろ球まかせ、球がどう飛んでも役を演じ切った方が、もっと引き込まれたと思われる。役を演じ切りながら、ストーリーにあった結果が出るまで打ち続ける方が。


それから、カーテンコールの後に何の言葉もなく突然行われたヒドイ歌と演奏。これが衝撃的にショックだった。こんなにも簡単に舞台が壊されてしまうのかと。観ていて、不愉快だった。それまでは、舞台の人=芝居をする人、客席=芝居を観る人、だったのが、その瞬間、関係が不明になってしまった。舞台上は芝居ではないし、客席もそれを観る人にはなっていないという、関係が断絶した状態。そのまま関係を作り直そうともせずに延々と続いた歌と演奏。それは例えていえば、会ったばかりの人に何か勘違いされて突然有無を言わせず犯され続けたような気持ち悪さ。


もちろん気持ち悪かったのは、歌と演奏が下手だったからではなく、演出がなかったから。演出がないということは見せ方を工夫していないということ。見せ方を工夫していないということは、お客の目が無視されているということ。そういうものが舞台に乗っているということ。


作・演出、黒澤世莉。出演、足立由夏、雨森スウ、河合咲、こいけけいこ、境宏子、清水那保、原田紀行、中田顕史郎


それでも描こうとしている世界に魅力。そして役者も2人、気になる人がいた。少し、光っていた。また次も観てみたい。