◼︎ コトノハ ◼︎

本と芝居とラジオの日々 / all rights reserved

石村吹雪、高校生日記


4月30日、午前3時10分起床。
10分の寝坊は、きのうの四谷コタンの余韻。
2時間睡眠で、
4時前にタクシーに乗り込んだ。



「緊張なんか、してないからね」


石村吹雪さんのライブの始まりはこの一言から。
これで、空気が出来た。
始まった曲は「高校生日記」
http://fubuki.nohit.info/song.php?name=3201

君にとって僕は何だろう?
僕は君じゃないから分からないけど
好きとか嫌いじゃなくて、
君の中でどれだけ当たり前なのか
なくてはならない人ですか
いてもいなくてもいいですか
代わりはいくらでもいますか
二度とは会えない人ですか


この国で僕は何だろう
僕は偉くないから分からないけれど
意味とか理由とかじゃなくて
僕がここにいることは当たり前なのか
なくてはならない人ですか
いてもいなくてもいいですか
代わりはいくらでもいますか
二度とは会えない人ですか

声に、詩に、曲に、本当は、泣きそうだった。
歌ににじむ心に。
日々を生きる人は、この歌に突き当たる。
そして、この歌を越えて、日々を生きる。
歌は、本当は、そうしたもの。
壁に突き当たった誰かに刺さり、
その誰かが壁を越える何かとなる。
その背景に、歌い手の日々があるから。
日々を生きている心。


誰よりも、自分が、助けられたと感じながら聴いていた。


CDが売れないとか、新しい曲が売れないとか、
くだらないリバイバル、カバーという名のカラオケ、
新しいものを売るCMさえも、昔の曲しか使えない現実。
個人の趣味が多様化したとかなんだとか、
もっともらしい理由を述べる人はいる。
果たしてそうだろうか?
ただ、力のある歌がないだけではないか?
日々を生きている歌がない、
そしてまわりも、そういう歌を大切にしない。


プロモーターがCDを売り込むときに歌詞カードを出さないこともある、
そんな小さな事実にも、歌の今が見える。
詩をメロディにのせて、人に届けるのが歌なのに。


80年代前半はまだよかった。
バブルの頃、ヒット曲がマーケティングに結びつけて語られて、
いつしかマーケティングでヒット曲が作れると勘違いされて、
歌が、だめになった、そう言っていた人がいたのを思い出す。


そういう現実の中、日々を生きる歌は、小さなライブハウスに息づいていた。
あの日、助けてもらったように、きのうもまた、助けてもらった。
石村吹雪の歌。
思い起こしながら、今日、いつもの、日常を始めた。
きのうの朝とは少し違う気持で。


歌は、計算で作るものではない。
日々を生きる中で、歌わずにはいられないものこそが、歌。
石村吹雪は、2006年、活動を停止していた。
それでも、日々の中で、歌を作ってしまったという。
作らずにはいられなかったという。
それが本当の歌なのだと思う。歌わずにはいられない歌。
そして歌い手の日々から離れた時、歌は終わる。


紫綬褒章松任谷由実を祝うラジオでかかった曲は、
ほとんどが、荒井由実の歌だったなと思いながら。


朝の仕事の後でネットを見る。
石村吹雪の「高校生日記」。
震災後の歌かなと感じていたが、
調べると、2010年発売のCDに入っていた。
震災の前からこの感覚を生きていた。
信用できる人だと、改めて思った。