◼︎ コトノハ ◼︎

本と芝居とラジオの日々 / all rights reserved

石村吹雪「おつり」と「小林さん」


5月1日(水)午前3時起床、
いつものように3時40分のタクシーに乗り込む。


前日の仕事は荒れていた。
月曜の石村吹雪ライブ以降、気持は落ち着いていたが、
不安定な日々に戻ってしまった。
もちろん、自分の仕事がふがいないからこそ。
ただ、それだけでない部分も大きくなっている。
数年単位で積み重なったもの。
そして体調の問題。


考えすぎると、自分を追い込みすぎて、息が出来なくなる。
時々、思い詰めて、息が止まっていることがある。
慢性的な寝不足に酸欠、そして精神のバランスを崩し、奇行。
危ない自分を感じて、目線をそらし、今日をやり過ごした。

『石村吹雪』としての活動は、
2006年12月31日をもって、終了されます。
しかし、決して消え去る訳ではなく、
しっかり皆さまや私の記憶の中に息づき、
新たな芽吹きの時を待っています。


本人がHPで活動停止を宣言したのは2006年。
月曜のライブは、7年ぶりの活動再開。
途中、小さなライブをしていたようだが、
それは、たとえて言えば、
「懐かしのあの人」というような特番にゲスト出演したようなものか。
今回は、本格的に復活、ということになるのだろう。
しかし何で活動を「終了」したのだろうか。
ライブでは、軽く触れられただけで、深く語られることはなかった。
「仕事を頑張ろうと思った」
「お金を貯めようと思った」
というようなことではあったが、本当の、気持の部分は分からなかった。
個人的には、そこが一番聞きたい所でもあったのだが。


自分が初めて石村吹雪を観たのはいつだったか。
コタンに初めて足を運んだのは1993年。
友人のライブを観に行ったのだが、
その後、何度か足を運ぶうちに、
同じ日のステージに立っていた石村吹雪に出会った。
おそらく94、5年頃ではないか。
最初の歌が「平和な社会」、途中「三人目のまこちゃん」をはさんで、
最後が「高まりゆく情熱への制動に僕らは一体どおしたらいいというのだろう」。
これらは96年2月発売のカセット「御目白乞食・奈奈」に入っている。
http://fubuki.nohit.info/album.php?name=07


その頃の自分のことを思い出す。
横浜にある会社の寮に入っていた。
学生時代、ことばに関わる仕事に就きたいと思っていたが叶わず、
ある会社の税務を担当していた。
寮の部屋には、本がぎっしり詰まった段ボールが、うずたかく積み上げれていた。
そのまま、開けることもない段ボールを見て、同僚は、理由を聞いた。
「数年で異動がある。ほんの数年の仮住まいだから」
しかしそれはウソだった。
仮住まいでも、数年はそこに住むのだ。
その間、本を手に取る日常があってもいい。
だから本当の理由は別にあった。
ただ、本を絶ちたかった、活字を遠ざけたかった。
追いかけていた世界を、諦めるのだと、言い聞かせていた、
自分を、追い込んでいた。
代わりに机の上には3冊の本。
簿記と、会計と、税務と。
それまで自分が近づこうともしなかった、遠くにあったもの。


石村吹雪としての活動を終了していた時期、
石村吹雪は、仕事の日々を送ってはみたが、
「それは、あまり向いていなかった」という。
高校の頃から、ギターを弾いている時だけが楽しそうだと言われてきた彼だから。

かなりしょぼくれた日々を過ごしていたんです。
「なんかいいことないかね」なんて言いながら。
でも、いいことを見つけちゃったんです。
そうしたら、歌いたくなっちゃうんです。
人は、どこででも、生きる楽しみを見つけられる。


歌わずにはいられない、あふれ出すことばたち。
そうして出来た歌が、月曜のライブで歌われた。


振り返って自分はどうだったか。
本を段ボールに詰めては見たものの、
ことばを封印してみたものの、
しょぼくれはしたが、ことばがあふれてくることはあったのか?
やがて自分は気持のバランスを崩し、会社を辞め、昔の世界に身を寄せる。
しかし石村吹雪のライブを観て改めて思う。
あふれるほどの何かは、自分の中にはない。
それではなぜ、会社を辞めなければならなかったのか。
そして今、気持のバランスを崩している自分にも問う。
日々をやり過ごせないほどの、あふれる何かがあるというのか?


4時過ぎから朝の仕事、昼から会議を3つ、残務処理をして、22時退社。
今日も酒を飲む。